米国カリフォルニア駐在初期の思い出――車のこと、家族のこと
- Kiyoshi Urakami
- 2025年10月2日
- 読了時間: 2分
1989年の夏の時期に突然、会社の上の人に言われ、当時、カリフォルニア州のサンフランシスコ近郊の半導体製品販売事業所で勤務することになりました。9月のある日、成田をひとりで飛び発ちました。
最初の3カ月は、私が米国での業務に慣れる必要があり、会社に通えるサンマテオ(San Mateo)カウンティのバーリンゲーム(Burlingame)にアパートを借り、ひとりで生活をしました。ここから会社までは本当に短い期間のことですが、日本人駐在員で若い方が、朝夕、事務所まで車で連れて行ってくれました。
私は、カリフォルニアに赴任するまで、自動車の運転をしたことがなく、赴任後真っ先に、ドライビング・スクールの日本人を探し、彼から、運転のイロハを学びました。初日と二日目には、広い空き地でいきなり車に乗り、少し走り、駐車のしかたなども教わりました。三日目には普通の道で車を走らせ、四日目には、ハイウェイへの入り方、レーンの変え方、ハイウェイからの出方などの基本を学び、これらが終わると、レンタカーを借りて、ひとりでアパートから会社までの行き来をすると同時に、San Mateoの運転試験場のテストを受け合格し、会社の日本人の同僚から、販売ディーラーを紹介してもらい、アメリカ車を購入しました。私が選んだのは当時のGMのBuick Centuryでした。
次に、私が行ったことは家探しでした。これも、何人かのつてを頼りに、同じサンマテオ・カウンティの丘陵地にある平屋の大変広い家を借りることができ、ここから、インターステート280号からハイウェイ101号を使い、Sierra Point Parkwayを出たところにある会社のオフィスに通い、これが慣れた1989年12月初旬に妻とふたりの子ども(娘が11歳、息子が8歳)を向かい入れることができ、子どもたちの通うカリフォルニアの現地校を決め、娘は中学1年生に、息子は小学3年生に編入されました。英語がまったく分からない子らがどうやって、学校環境に溶け込んだかなども含め、機会があれば、書ける範囲で書きます。






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